地球交響曲 第五番

という映画が大学のシアターで上映されていたので見てきた.

なんというか,一言では語り尽くせない素晴らしいものが描かれていた.

龍村監督,ありがとう.

映画は,染織作家の石垣昭子さんによる西表の伝統の染め衣の紹介から,過去の地球交響曲シリーズで語り,この世を去っていった人々の回想へと移る.そして,「誕生」と「死」という個々の章立てから失われたものの再生を予期させる.過去の地球交響曲シリーズで語られた思想が今回の出演者であるアーヴィン・ラズロー博士の地球〔ガイア〕に対する考察と入り交じり増幅される.その後,自然分娩によって生まれる赤ちゃん=「地球交響曲」シリーズそのものの再生,誕生というイベントへと回帰していく.

徒に詳細をつづるのはネタバレになってしまいしかも記述力不足から映画の面白さが伝わらないこと必至なので避けるが,数ある心を打たれたトークのなかでこの場で未来永劫の記憶のために書き残したいものがある.一つは,あらゆる過去は現在に生きているという見方.すなわち,宇宙の過去のすべては虚空(真空)に記憶されている(虚空蔵=Achasic Record).そのこころは,真空の空間に蓄えられたエネルギーは,全物質がもつエネルギー(運動エネルギーなどのことか)をはるかに上回るばかりでなく,情報の伝達力が最強である量子というものを動かす場こそ宇宙であるから,現在の状態からすべての過去を推し量ることができるという(逆問題).

ここでこの世で最も速いのが情報であるという事実を再度伝え聞いた.一回目に聞いたのは父親からで,ワープ航法が莫大なエネルギーを要するために物質の(天文学的)長距離転送はいつ叶うか解らぬ夢だが,情報の伝達は何物をも超えて一瞬であるということ.これは私にとってはなかなか厳しいというか,責任感を感じさせることだ(責任を果たす能力があるか系の話は忘れることにする).どうやって確かめられるのか?空間を曲げることにより,我々のいる所に別の宇宙を接させることができる.(クラインの壺のどこかに地球があって,高温にして壺を変形自由な状態にし,別の末端をぐにゃっと曲げて地球のあるところに接着させる感じ?)そのとき物質が通れるようにするのは相応のエネルギーが要るが,光くらいなら大したことがないのだろう.この辺は致命的に素人的直感なので,もう少し物理学を勉強してから語ろうと思います.すいません.

とにかく,今やっているのが言語学であるということで,すべての存在は量子場の力で結びついているというラズロー先生の発言から,複雑系であるとしか結論づけられないように感じるヒトの言語のシステムも,そういう力を受けているんだということを思うと,僅かに親近感が出てくる.ガイア理論のジェームズ・ラブロック博士も映画の中で,「理論は後からついてくる」と語った.まずは「新しい道を見つけ」ることで奮闘し,それから理論めいたものを構築していければと今思う.