Webby things

サークルのWeb運営というのは案外難しく,よかれと思って独断先行でリニューアルを決行した Webmaster がその後の更新についてその方向性や文責をめぐって七転八倒するのは宿命のようだ。


とある日の夜0時頃,気がつけば,メールの返信文にこのような反省文を書いていた。(一部改変)

最初から目的と対象を流れを決めておかなかったのが、今回の結果を招いている気が自分ではします。
<現サークル>の本活動の傍流として、なるべく影響しない(Webのために時間を奪わない)ように作っていたつもりでした。
そして、<現サークル>に好感を持ってくれる方が増えるように、一人で考え良いページ(の雛形)を作ったつもりでした。
実際は、自分の知っている体裁のどれかに適当に当てはめることしか考えていなかったし、良い=効果的なページというのも単なる独善的な判断でしかなかったのだと思います。
思えばこの種の間違いは、<現サークルと多少のつながりがある,前居たサークルの名>のときから引きずっているものの一つです。自分の技術を示したくて、<前サークル>のWebを担当したし、担った後も、結局はそのことしか考えてなかったと言われても言い返せないのです。内容については一人で考えていた「つもり」になっていました。もっとも内容について作る前に一度か二度サークル会議にかけ、いくつかコメントをもらおうとした分今よりも良かったのかもしれません。ただ、本当に何を書けばよいのか、伝えればよいのかについて、一人で思索こそすれ、周りの人とよく話し合い、全体で共有することを忘れていた(時間的に無理だった点もあったとは思いますが)点については変わっていないんだと思います。
結局、「Webなんて誰も見ないのだから、通り一遍のことを書いておけばよい」という意識が根底に根付いてしまっているのです、おそらく。しかし「通り一遍のこと」で済ませることへの自分の中の(子供じみた)反抗も根強く、それが○○○を載せようなどということになったのだと思います。
Web(に限らず、公に伝えるものの全て)は一人で考えて一人で作れるものではなく、人と相談して初めて意味のあるものが作り始められるのでしょうか。
そうであってもなくても、みなさんと話し合う形でWebの方向性を決めておいてから、動くことが必要だったのに、また一人で全部済ませてしまおうとしていました。さらには面倒な執筆部分は他人に任せればいいというものです。これは、独断に他人を巻き込むという最悪の事柄だとおもいます。

自己弁護と受け取られるものを長々と書きましたが、そういう性質のものではなく、単に自分の失敗を記述したものであることをお断りしておきます。もしもこの失敗が到底直しようのないものならば、どうかご指摘ください。


最終的に何を言いたいのがよくわからなくなってしまった。しかし,悔しさがにじみ出ていることは確かである。淡々と作って,良いものを目指すことができれば,それで済む話しなのだが。