人工言語

人工言語について考えていることをメモしていく。

普遍言語を仮定したときに,人工言語が普遍言語に従うかどうかという議論において,それを確かめるには普遍言語が何であるかハッキリしていなければならないというのは自明である。

もちろんネイティブスピーカーが存在するということで普遍言語に従っているということもできる。エスペラント語は,1000人以上のネイティブスピーカー(幼少時に限られたlanguage inputから当該言語を得た者)を有しているといわれている。しかし,その人々は一般的な自然言語と同様に「話すことができる」のか,疑問が生まれる。

自然言語を話すことができるということは,(普遍文法から生み出された)個別文法などを有する「言語」を話すことができることと同義であるとしよう。

まず言語を「話せる」という現象からの再解明が必要なことがわかる。エスペラントをL1として習得した者同士のperformanceは,英語等の場合のperformanceと同程度になりうるか。performanceを数量化することができないためyesを証明することはできない。エスペラントコーパスから意味の多様性を伺うという手段もあるが。

Noの証明は幾分簡単となる。エスペラントで表現しきれなかった例を集めて,英語と対照すればよい。そこに一般的な自然言語では多数が表現可能な概念の表現不可能性が発見されれば,performanceの限界の差となすことができる。


自分の構想は妄想に満ちたものであるということが思索を進めるほどわかってくる。わかっているのだが,人間の言語の正体を見るために必要なことであるので,筆を折る(KBC化する)のはもう少し先延ばしにすることにする。