睦月

疑似3D・目の健康情勢(今作った用語)がまた動いた。

ニンテンドー3DSは子どもの目に悪くないんじゃ...。小児眼科医から任天堂の6歳以下の3D使用警告に疑問の声
http://www.gizmodo.jp/2011/01/3ds_3.html

NY Timesの記事を読むと、

But, again, Dr. Granet said the scientific literature doesn't bear out concern regarding the impact of 3-D images on eye development. In fact, when Nintendo put out its announcement, an online discussion group run by Dr. Granet and used by hundreds of ophthalmologists was atwitter not with concern, but curiosity.

“There were a flurry of e-mails saying,‘Does any one know the reason for this or where it came from?’” Dr. Granet said. He added: “I don't think that parents need to worry about kids playing video games, 3-D or otherwise, from a vision perspective. The bigger question for parents is: Do you really want your 3-year-old playing a video game?”

とのように、視覚の発達について専門的知識を有する多くの小児眼科医が、Nintendo 3DSの3D画面の小児の視覚の発達に与える影響については、全く心配はないと判断しているようだ。それどころか、両眼視差方式を利用した他の3D映像技術(3D映画、3DTV)についても同様の指摘をしている。

・・・と思いたい所だが、上記引用文章ではScreen Timeについて述べられた文献(太字のthe scientific literatureのこと)についてしか述べられていない。つまり、本当に3DSの3D画面が小児の視覚発達に対して安全であることが確認されたとは言い難いわけである。そもそも、何かが影響する可能性を完全に排除することは悪魔の証明(全称命題の証明)となり、困難だ。

ただ、ワシントン大学のTychsen博士が行った幼いアカゲサルを用いた動物実験(3D眼鏡使用、1日中の3D映像視聴を3ヶ月続ける)では、結果的に視覚には何ら異常はみられなかったというのが興味深い。

The research, he said, shows that vision of monkeys wearing 3-D glasses develops no differently than for those not wearing the devices. Monkeys, he added, offer a terrific approximation of what happens with human eye development.

今後も3D技術の健康への影響の問題については、観察を続ける予定。

現状

http://dev.chromium.org/chromium-os/building-chromium-os/getting-the-chromium-os-source-code にしたがい、
ソースをダウンロード中。

gclient config http://src.chromium.org/git/chromiumos.git
gclient sync

としてから1時間以上ダウンロードし続けている。これから用事で外にでなければならないため、大学に放置していくことにする。

20:54 現在、gclient (git 向けに開発されたフロントエンドスクリプトらしい) は次のラインで止まっている。

Getting pack 6187e14d88f23839cbaff79809f183b16ffc8a42
which contains b640019d6119a9d7402a2794ae0a73e585ef2771

地球交響曲 第五番

という映画が大学のシアターで上映されていたので見てきた.

なんというか,一言では語り尽くせない素晴らしいものが描かれていた.

龍村監督,ありがとう.

映画は,染織作家の石垣昭子さんによる西表の伝統の染め衣の紹介から,過去の地球交響曲シリーズで語り,この世を去っていった人々の回想へと移る.そして,「誕生」と「死」という個々の章立てから失われたものの再生を予期させる.過去の地球交響曲シリーズで語られた思想が今回の出演者であるアーヴィン・ラズロー博士の地球〔ガイア〕に対する考察と入り交じり増幅される.その後,自然分娩によって生まれる赤ちゃん=「地球交響曲」シリーズそのものの再生,誕生というイベントへと回帰していく.

徒に詳細をつづるのはネタバレになってしまいしかも記述力不足から映画の面白さが伝わらないこと必至なので避けるが,数ある心を打たれたトークのなかでこの場で未来永劫の記憶のために書き残したいものがある.一つは,あらゆる過去は現在に生きているという見方.すなわち,宇宙の過去のすべては虚空(真空)に記憶されている(虚空蔵=Achasic Record).そのこころは,真空の空間に蓄えられたエネルギーは,全物質がもつエネルギー(運動エネルギーなどのことか)をはるかに上回るばかりでなく,情報の伝達力が最強である量子というものを動かす場こそ宇宙であるから,現在の状態からすべての過去を推し量ることができるという(逆問題).

ここでこの世で最も速いのが情報であるという事実を再度伝え聞いた.一回目に聞いたのは父親からで,ワープ航法が莫大なエネルギーを要するために物質の(天文学的)長距離転送はいつ叶うか解らぬ夢だが,情報の伝達は何物をも超えて一瞬であるということ.これは私にとってはなかなか厳しいというか,責任感を感じさせることだ(責任を果たす能力があるか系の話は忘れることにする).どうやって確かめられるのか?空間を曲げることにより,我々のいる所に別の宇宙を接させることができる.(クラインの壺のどこかに地球があって,高温にして壺を変形自由な状態にし,別の末端をぐにゃっと曲げて地球のあるところに接着させる感じ?)そのとき物質が通れるようにするのは相応のエネルギーが要るが,光くらいなら大したことがないのだろう.この辺は致命的に素人的直感なので,もう少し物理学を勉強してから語ろうと思います.すいません.

とにかく,今やっているのが言語学であるということで,すべての存在は量子場の力で結びついているというラズロー先生の発言から,複雑系であるとしか結論づけられないように感じるヒトの言語のシステムも,そういう力を受けているんだということを思うと,僅かに親近感が出てくる.ガイア理論のジェームズ・ラブロック博士も映画の中で,「理論は後からついてくる」と語った.まずは「新しい道を見つけ」ることで奮闘し,それから理論めいたものを構築していければと今思う.

てぇしす

題目
人工言語自然言語の比較(仮)

背景(意義)
機械翻訳中間言語方式で実現したい場合、その対象は自然言語であるから、統語的曖昧性を排することに成功している人工言語中間言語として扱う場合にもその特性を検討する必要がある。

目的
人工言語自然言語を比較し、既に明らかになっている人工言語の特徴に対比する形で自然言語の特徴を明らかにする。

方法
主に自然言語処理で問題となる係り結び・統率・量化詞のスコープなどの統語的事象について、自然言語の例と数種の人工言語の例(ロジバン・アルカ・エスペラント・スラフォーリア)を取り上げる。
類型的見地 中間言語をパラメータ付与された普遍言語と捉え、自然言語の解析法との理論的乖離を最小限にすることを試みる。
人間の認知システムへの適合性 生成文法の統率・束縛理論で提唱されたPF・LF形式と中間言語タイプの言語の差異から、どちらが人間の認知システムに高い適合性を示すかをみる。

予想される結果
自然言語には一般的に次の特徴が認められている。
・統語的な曖昧性
・同音多義語
・メタファー、メトニミーの実現
・状況における意味論的制約
これらが, 例示する人工言語ではどのような振る舞いを見せるのか。人工言語を合理的な体系としてみるなら、自然言語は何と言えるのか。
機械翻訳中間言語を選択するとなれば、おのおのの現象の影響を最低限に抑えながら正しく文意を伝達することにできるものが適している。そのような用途に適した言語はどのようなものであるか。

やりたいことが多すぎる!!

Lojban: Sapir-Whorf Hypothesis

サピア・ウォーフの仮説とLojbanに関する濃い議論。

http://www.lojban.org/files/why-lojban/swh.txt

understate: ~= underestimate
sloppy: disagreeably [effusive: marked by expression of great or excessive emotion]
reductive: causing [reduction: the act or process of [reduce + ing: to draw together or cause to converge: CONSOLIDATE]]
smatter: (v-it) talk with superficial knowledge
purport: (v-t) to have the often specious apprearance of being, intending, or claiming (sth implied or inferred)
periphrastic(ally): (文法)迂言的な , formed by the use of function words or auxiliaries instead of by inflection; `more fair' is a periphrastic comparative
elucidate: to make [lucid: clear to the understanding] especially by explanation or analysis
contemplate: to view or consider with continued attention

人工言語

人工言語について考えていることをメモしていく。

普遍言語を仮定したときに,人工言語が普遍言語に従うかどうかという議論において,それを確かめるには普遍言語が何であるかハッキリしていなければならないというのは自明である。

もちろんネイティブスピーカーが存在するということで普遍言語に従っているということもできる。エスペラント語は,1000人以上のネイティブスピーカー(幼少時に限られたlanguage inputから当該言語を得た者)を有しているといわれている。しかし,その人々は一般的な自然言語と同様に「話すことができる」のか,疑問が生まれる。

自然言語を話すことができるということは,(普遍文法から生み出された)個別文法などを有する「言語」を話すことができることと同義であるとしよう。

まず言語を「話せる」という現象からの再解明が必要なことがわかる。エスペラントをL1として習得した者同士のperformanceは,英語等の場合のperformanceと同程度になりうるか。performanceを数量化することができないためyesを証明することはできない。エスペラントコーパスから意味の多様性を伺うという手段もあるが。

Noの証明は幾分簡単となる。エスペラントで表現しきれなかった例を集めて,英語と対照すればよい。そこに一般的な自然言語では多数が表現可能な概念の表現不可能性が発見されれば,performanceの限界の差となすことができる。


自分の構想は妄想に満ちたものであるということが思索を進めるほどわかってくる。わかっているのだが,人間の言語の正体を見るために必要なことであるので,筆を折る(KBC化する)のはもう少し先延ばしにすることにする。